きょう見にき展(京都商工交流会2005)
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会場:メインステージ(大展示場内)
時間:午後1:30〜2:30
「世界がもし100人の村だったら、すべての富のうち6人が59%をもっていてみんなアメリカ合衆国の人です。74人が39%を、20人がたったの2%を分け合っています」
インターネットで世界中に流れていた現代の寓話『世界がもし100人の村だったら』を翻訳して刊行された池田香代子さん。この本は130万部を超えるベストセラーになった。
「この本を作ったのはアフガニスタンの医療活動で有名な『ペシャワール会』の中村哲医師の話を聞いたからです。アフガンの人を支援したい。でも私は中村さんのような医師でもない。現地にボランティアに出かける体力もない。最低必要な英語もできないと思っていたら中村先生は『募金はできる』といわれた。私のできることとしてメールを本にして印税を寄付しましょうと。2001年12月に発行して、130万部売れていっぱい税金を取られましたが3000万円を超えるお金が手に入りましたので『ペシャワール会』には約束どおり100万円を寄付しました。残りのお金を何かに役立たせたいと『100人村基金』をつくりプールしてNGOの方々の活動とかに使ってもらいました」と池田さんは話されます。
いま、池田さんの出版活動と講演は「100人村」から「戦争のつくりかた」「やさしい言葉で日本国憲法」と広がっています。
『わたしたちは、未来をつくりだすことができます。戦争をしない方法を、えらびとることも』
―戦争のつくりかた― より
『世界がもし100人の村だったら』の監修者。ドイツ文学翻訳家・口承文芸研究家。
1948年、東京生まれ。2001年に出版した『世界がもし100人の村だったら』(マガジンハウス)がミリオンセラーに。訳書に『ソフィーの世界』(NHK出版)、『夜と霧 新版』(みすず書房)、『やさしいことばで日本国憲法』(マガジンハウス)など。世界平和アピール7人委員会メンバー。
ピッチにへたり込んだ背番号10、ラモス。1993年10月28日中東カタール、アルアリスタジアム。九分九厘つかんだと思ったワールドカップ初出場の権利が、するりと日本代表の手から滑り落ちた瞬間だった。
この日まで日本代表はワールドカップ初出場をかけてアジア最終予選を2勝1敗1分けの成績で戦ってきた。10月25日には韓国にワールドカップ予選で初勝利。このイラク戦に勝てばアメリカ大会出場が決まる。ゲームは前半開始5分でカズが先制ゴール。直後からイラクの猛反撃が始まる。後半9分イラク・ラディがゴールを決め1対1の同点に。しかし、後半24分、中山がカズからのパスを受け執念の勝ち越しゴールを決めた。誰もが、ワールドカップ初出場を確信したとき「ドーハの悲劇」が生まれた。後半45分17秒、ショートコーナーからゴール前に上げられたボールはイラク選手のヘッドにあい日本ゴールへと吸い込まれた。
試合後イラク選手はラモスに「最高の試合だった。あなた達日本がベストチームだった」と声をかけてくれた。「私は生涯、あの試合とイラク代表選手たちのことを忘れることはできない」とラモスは語る。
ドーハから10年。ブッシュはイラクに戦争を起こした。ラモスは戦火のイラクを訪れ(2003年6月)、ドーハでの対戦相手だったイラク選手と再会。日本での試合も実現させた。「本当に彼らに会いたかった。イラクへ行ったのはいつ殺されてもおかしくないほど危険な時期でした。でも、ぼくがボールを蹴ると子どもやたくさんの人が集まってきました。サッカーはその瞬間だけでも辛いことを忘れさせてくれる。スポーツは平和をつくる力を相当もっていると思います」
ラモスはスポーツを通して平和を広げることを強く願っている。
本名:ラモス瑠偉(ルイ・ゴンサウヴィス・ラモス・ソブリーニョ)
愛称:カリオカ
生年月日:1957年2月9日
身長・体重:181cm・71Kg
出身地:ブラジル/リオ・デ・ジャネイロ メンデス
国籍:日本(1989年11月帰化)
1990年:北京アジア大会日本代表 1994年:W杯予選日本代表
好きな言葉:すべてのものがやがてむくわれ、すべてのものがいつか救われる
ラモス瑠偉公式サイト
FIFAビーチサッカーワールドカップ リオデジャネイロ2005
日本代表チームメンバーと戦績(日本サッカー協会のサイトから)

PDFファイル(162Kb)も用意しました。